大判例

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大阪地方裁判所 平成元年(わ)1674号 判決 1992年1月30日

裁判所書記官

大西昌三

本籍

愛媛県西条市禎端六九二番地

住居

大阪市阿倍野区晴明通三番二〇号

会社役員

石井秋平

明治四三年一一月一二日生

主文

被告人を懲役二年六か月と罰金一億円に処する。

この罰金を全部納めることができないときは、二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間懲役刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人は、コンクリート製品の製造等を目的とする興亜コンクリート工業株式会社を経営する一方、株式取引を行っていたが、自分の所得税を免れようと企て、昭和六一年分の実際総所得金額が七億八九三一万四四八〇円あった(別紙修正損益計算書参照)のに、株式の継続的取引による雑所得の全部を除外するなどの方法により所得の一部を秘匿して、昭和六二年三月一六日、大阪市阿倍野区三明町二丁目一〇番二九号の所轄阿倍野税務署において、同税務署長に対し、昭和六一年分の総所得金額が三三八万七七五六円で、これに対する所得税額は源泉徴収税額を控除すると二七万六〇一〇円の還付を受けることになる旨の内容虚偽の所得税確定申告書を提出した。そして、そのまま法定納期限を経過させた結果、同年分の正規の所得税額五億三八三一万一一〇〇円と前記還付金額の合計額五億三八五八万七一〇〇円(一〇〇円未満切捨て、別紙税額計算書参照)を免れた。

(証拠)

1  被告人の

(1)公判供述

(2)検察官調書五通

(3)質問てん末書一六通

2  証人金井正和(第三、第四回)、堤竹勇(第五、第六回)、金沢徹(第七回)の公判供述記載

3  金井正和の検察官調書

4  前田克彦の質問てん末書三通

5  査察官調査書一二通

6  確認書

7  証明書(検察官請求番号2)

8  昭和六一年株式売付注文伝票等一綴(平成二年押第一三〇号の1)

(争点に対する判断)

一  本件の争点

被告人の昭和六一年中の株式取引が、当時の株式取引に関する課税要件の一つである年間売買回数が五〇回以上で、年間売買株数の合計が二〇万株以上の取引(昭和六三年法律第一〇九号による改正前の所得税法九条一項一一号イ、昭和六二年政令第三五六号による改正前の同法施行令二六条一項、二項、以下、この課税用件を単に「課税要件」とか、場合に応じて「五〇回以上かつ二〇万株以上の課税要件」などという。)に該当し、課税の対象となることは明らかである。ところが、被告人は、当時、株式取引による所得については現行法上非課税であると信じ、有価証券取引税を納付することにより株式取引に関する税はすべて納付済と考えていたと査察調査の段階から一貫して述べている。そして、弁護人は、このような事情の下では、被告人にはほ脱の犯意がなく、その行為は所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」に該当しないと主張する。そこで、この主張の当否が本件の争点である。

二  本件当時、被告人の所得申告事務のほか、前記興亜コンクリート工業株式会社の記帳、申告事務等を担当していた税理士前田克彦は、被告人に課税要件について三回話をした記憶があるとして、査察官に次のように述べていた(昭和六二年七月二一日付質問てん末書)。すなわち、一回目は、一〇年くらい前の確定申告の際、配当所得の計算に関連して株式取引にかかる税の話になり、年間五〇回以上かつ二〇万株以上の取引があった場合には有価証券取引税とは別に所得税もかかることになっていることを話した。二回目は、昭和五二、三年ころ、被告人の配当所得に申告漏れがあり、修正申告をすることになった際、配当金以外にも株の売買による所得があれば説明するように述べた。三回目は、昭和五七年六月ころ、前記会社の法人税調査の際、調査官から被告人の信用取引の内容について説明を求められたため、その翌朝、会社の事務所で被告人にその旨を報告した。株式取引は会社と関係がないとして被告人に回答を拒絶されたが、その話の中で、年間五〇回以上かつ二〇万株以上の株式取引については、その利益に所得税がかかるので、申告が必要であると伝えた。

前田税理士は、以上のように査察官に述べていたが、検察官の取調べを受けないまま平成元年一月上咽頭がんにより死亡した。そして、その後税理士事務所内で遺品を整理中に前田税理士の肉筆による下書きとみられる「供述書」と題する昭和六二年七月二七日付書面(平成二年押第一三〇号の2)とワープロで浄書したほぼ同一内容の同日付書面(同号の3)が発見された。これらの書面には、査察官に対して前記のように供述したものの、実際にはその供述内容にはほとんど確信が持てない、勘違い、錯覚等により供述したが、真実は課税要件について一度も被告人に指導をしたり話をしたことがないとの趣旨が記載されている。そして、被告人(第一二回)、証人谷井督(第一〇回)の公判供述記載によれば、前田税理士が昭和六二年七月ころ被告人を事務所に呼び、国税局で知らないことまで知っているように述べたなどと謝罪し、訂正の文書を内容証明郵便で国税局に送付したいので見てほしいとして、前記の手書き又は浄書した「供述書」と類似する書面を差し出した、これに対して被告人は、自分がとやかくいうべきものではないので、前田税理士が自分の判断で処理するように伝えたというのである。

前田税理士は約五年前に株式取引の課税要件を話したことがあるから、被告人は課税要件を知っているはずであるとの趣旨を査察調査の初日(昭和六二年四月一五日)から査察官に供述し、その後もこの供述を維持していた(同日付、同年六月三日付質問てん末書)。前田税理士は、不治の病に冒されていたとはいえ、税務の専門家であるから、課税要件の認識の有無が本件の重要な争点であり、関与税理士である自分の供述が事件に決定的な影響を与えることを十分に認識した上で査察官に対して前記のような供述をしたものとみられる。さらに、その供述内容もかなり具体的であるばかりか、課税要件を一度ならず三度までも告げたというのであるから、この点について、前田税理士に勘違いや錯覚があったとは考えにくい。また、顧客の正当な利益を擁護すべき立場にある税理士が十分な根拠も確信もないのに、査察官に前記のような供述をするとは思われない。

他方、前記「供述書」は顧客の利益に反する供述をする結果となったことについての被告人に対する負い目から作成されたものということができるが、その記載内容をみても、最も肝心な点である査察官にそのような供述をしたことの理由について、合理的な説明がなく、その真実性については大きな疑問がある。そればかりか、作成日付後前田税理士が死去するまでに一年五か月以上の期間を経過しているのに、前記「供述書」が現実に国税局に送付された形跡はないのであるから、この書面の存在を重視することはできない。

以上の諸点からすれば、前田税理士の査察官に対する前記供述は、信用するに足りるものと認めることができる。

三  被告人は、株式取引による所得については非課税であると信じていたと弁解している。しかし、前田税理士が前記のように供述しているばかりか、昭和六一年二月まで被告人を担当していた山一証券阿倍野支店営業第一課長(当時)堤竹勇は、公判で、時期やその状況を具体的に記憶はしていないが、被告人に課税要件を一、二回話したような記憶があるとし(第五、第六回公判供述記載)、その後任である金井正和も、公判で、五〇回以上かつ二〇万株以上の課税要件については被告人が知っているものと思って、特に話をしなかったが、同一銘柄の譲渡株数が年間二〇万株以上の取引に対する課税(昭和六二年法律第九六号による改正前の租税特別措置法三七条の一〇第一項一号、昭和六二年政令第三三三号による改正前の同法施行令二五条の八第一項)については、同一銘柄の株式二〇万株以上を譲渡した際に被告人に注意を促したように思うと述べている(第三、第四回公判供述記載)。

堤竹と金井は、被告人に課税要件等を告げたとする時期やその状況を具体的に記憶しているものではないから、その供述は必ずしも明確なものとはいえないが、少なくとも、両名とも、被告人を担当していた際に、被告人が課税要件を当然に知っているものと考えていたことは、その供述から十分に窺われるのである。

ところで、株式取引は原則は非課税であるが、一定の場合に課税されることは、広く一般に知られた事実であり、被告人が愛読していたとする日本経済新聞にもしばしばその点について触れた記事が掲載されていた。すなわち、被告人の質問てん末書(検察官請求番号52)添付の新聞記事写しによれば、例えば昭和六一年に限定してみても、二月一一日付、七月二五日付、一〇月二〇日付、一〇月二四日付、一一月八日付の朝刊の記事には、五〇回以上かつ二〇万株以上の課税要件が明瞭に記載されており、特に一〇月二〇日付朝刊には、一面のトップに、「株式売買益の課税強化」「『大口』の対象拡大」「大蔵省方針」

「非課税原則は存続」との見出しの下に、大蔵省が課税の対象範囲を拡大するために五〇回以上かつ二〇万株以上の課税要件を見直す方針を固めたことが大きく報道され、一一月八日付朝刊の一面にも、「キャピタルゲイン課税」「段階的に強化」との見出しの下に、大蔵大臣が課税を強化する旨の国会答弁をしたことが報道されているのである。

被告人は、このような記事を一つとして読んだことがないと弁解しているが、高齢に達しているとはいえ、現役の会社経営者であり、大規模な信用取引を継続していたばかりか、大阪府税審議会委員の肩書さえ持つ被告人が、全くこれらの記事を読んだことがなかったというのはきわめて不自然である。

株式取引による所得が非課税であると信じていたとの被告人の前記弁解は、堤竹と金井の供述や、前記のとおりの新聞報道の事実等に照らし、信用することができない。

四  前田税理士の査察官に対する供述のほか、堤竹、金井の供述、前記のような新聞報道の事実等によれば、被告人は課税要件を認識していたと認めざるを得ない。そして、被告人は、雑所得の全部を除外することにより所得金額が過少であることを認識しながら、所得税確定申告書を税務署長に提出したのであるから、被告人にはほ脱の意思があり、その行為が所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」に該当することは明らかである(なお、被告人は、仮名や借名によることなく、単一の実名口座を使用して株式取引をしていたものであるが、そのことは、必ずしも被告人が株式取引を非課税と思い込んでいたことや、被告人にほ脱の意思がなかったことを示すものとはいえないから、その点は、以上の認定の妨げとはならない)。

(法令の適用)

罰条 所得税法二三八条一項、二項

刑種の選択 懲役刑と罰金刑を併科

労役場留置 刑法一八条

刑の執行猶予 懲役刑について刑法二五条一項

訴訟費用の負担 刑訴法一八一条一項本文

(量刑の理由)

本件は、主として株式取引により昭和六一年中に合計七億八九〇〇万円余りの所得をあげた被告人が、株式取引による雑所得の全部を除外するなどして申告し、五億三八〇〇万円余りの所得税を脱税した事案である。単年分の脱税額としてはまれにみる高額であるばかりか、所得税の還付さえ受けていたものであり、納税義務に著しく違反する脱税行為というほかない。被告人は、人権擁護委員、民生委員、大阪府税審議会委員等の多数の公職を歴任し、社会において他の模範となるべき身であるのに、このような行為に及んだものであって、一般社会に悪影響を及ぼしかねない相当に重大な犯行である。

しかし、他方、被告人は、仮名や借名の株式取引口座を使用するようなこともなく、単一の実名口座を使用して株式取引をしていたものであり、事前に所得を秘匿する工作をした形跡は見当たらない。その手口も単純なものにすぎず、株式取引の当初から脱税を企図していたとまでは認め難い。さらに、本件脱税額に関し、本税、附帯税合計七億一八〇〇万円余りが一応納付されていること、被告人は、数十年前から赤十字社、郷里の西条市、大阪市等の公的機関に合計数億円にも上る寄付を継続するなど篤志家として知られ、従来から事業等により得た利益の一部を社会に還元するとともに、前記公職等を通じて社会に対する貢献を重ねてきたことなど被告人に有利な事情も多く認めることができる。

これらの事情を総合考慮すれば、被告人を主文の刑に処し、懲役刑については、その執行を猶予するのが相当と判断する。

(出席した検察官宮下準二、弁護人岡島嘉彦ほか四名)

(裁判長裁判官 仙波厚 裁判官 三好幹夫 裁判官 平島正道)

修正損益計算書

<省略>

脱税額計算書

<省略>

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